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第7回 −「信級(のぶしな)」−
文/寺島 純子(有限会社オフィスエム:長野県)

「信級」

 信級と書いて「のぶしな」と読む。私が生まれた村だ。
私は昭和34年、この信級村の林という地区で生まれた。父も母もこの村の生まれだ。
「ちょうど麦の収穫の頃だった。母ちゃんは陣痛で泣きそうになって、父が何度も産婆さんを呼びにいくんだが、『まだまだ』といって来てくれず、結局1日かかってお前が生まれたんだ。父ちゃんの肩に母ちゃんが足をかけてなあ」。
 私は6月27日生まれだが、両親にとって出産が26日から始まっていたせいか、今でも誕生日を26日と間違えているようだ。いま、その両親は79歳と80歳になった。父は要介護4である。
 信級村はその後、隣りの信州新町に合併し、つい数年前には長野市と合併したので、すでに村ではなくなってしまった。私が3歳のとき、両親は家と田畑を売り払って、山を降り上山田町の住人になった。父は百姓から勤め人になり、私と弟はここで高校までを過ごす。高度経済成長時代の典型的なファミリーになったわけだ。
 村を離れても、母の実家やお墓や、知人の多くが村にいたので、毎夏には決まって家族全員で村を訪れ、お中元を配りながらたくさんの家を回って歩いた。私の記憶の中には、親の想いと相まって、信級で育まれたものが今も生きている。生きているどころか、年を重ねるごとに村への想いが深くなっていく気がしている。
 生まれた家では、土間の奥、一つ屋根の下に牛を飼っていた。私はハイハイするようになると、知らない間に牛のお腹の下に行って遊んでいたそうだ。大人ははらはらしていたようだが、牛は小さな命を踏みつけたりはしない。私は今も牛が大好きで、東北で無惨にも見捨てられている牛の映像などを見ると、胸がかきむしられるような気持ちになってしまう。これも幼い頃に沁みこんだ記憶のせいだと思う。
 田んぼの畦に大きな傘をさして、その下にむしろを敷いて、私はじいちゃんと遊びながら働く親の姿を見ていた。
 すぐ近所の「むこうの家」には、湧き水と井戸水があり、夏はすいかやトマトを冷やしていた。それがとても冷たく、なんともいえず美味しい。少し年上の兄ちゃんたちが何人もいて、小さな私としょっちゅう遊んでくれたものだ。
 むこうの家の父さんは、父が兄のように慕っている人物で、お兄ちゃんが東京の大学に行くというとき、家じゅうの杉の木を全部切ってお金を作って出したのだ、といつか父が語ってくれた。それでも、むこうの家の父さんと母さんは、いつもやさしく朗らかだった。
 信級のいちばん陽のあたる丘の上に学校があった。昔、村の人たちが家の木を供出し、建築も手伝って、学校を建てたものだと聞いた。何もない村だったし、教育も満足に受けてはいない大人ばかりだったが、子どもの未来のためには財産も労力も惜しまない、そういう人々が学校をつくった。学校が村の誇りだった。
 昨年、3.11があって、何もかもなくした地域をどのように再生させていったらいいかが大きな問題となっているが、私はそのヒントは村にあると思う。私たちが経済成長と引き換えに捨ててきた村のなかに、これからを生きていくためのあらゆる要素があるのではないか、と。村には、自然とともに生きる智恵や、畏れや、喜びがある。祭りがあり、近所づきあいがあり、助け合いがある。そして命を育む力がある。
あらためて危機管理マニュアルや福祉マップなどつくらなくても、いっしょに祭りをやれば、どこにどんな年寄りがいて、どの人が何をできるかなんてすぐわかる。これからの地域づくりは村に学ぶべきだ。
 信級は限界集落となり年寄りばかりの地区になったが、まだまだ信級の人たちにはかなわないことがたくさんある。いつかは、親の捨てた村に帰って、なにか新しい風を吹かせながら暮らせないものだろうか、と考えている今日この頃である。
 私にとって「村の記憶」はひとつの拠り所なのだろうな、と思う。こんな記憶をもっていられることを、とてもかけがえがないことだと思う。両親が命がけで私に伝えてくれた宝物、それが私にとっての「村の記憶」である。


ライターノーツ/有限会社オフィスエム代表 寺島 純子(Terashima.Jyunko)
寺島純子さんは長野県の小さな出版社オフィスエムの代表です。小さいと言っていますがかなり幅広く本を出版されています。ホームページから少し抜粋させていただくと「人と人の交わりがこれほどに深いものなら、活字の世界もまだまだ捨てたものではないとも密かに確信している。」と書かれてあります。納得。オフィスエム=オフィス笑む、この統合記号で結ばれる意味を確かめたい方は是非HPを見ていただければと思います。(寺島さんは私の大好きな写真家本橋誠一さんと親しいのです。今度是非一度会わせていただきたいなあ!)
寺島さんは姉御日記を書かれています。これがまたおもしろい!癖になる!?是非こちらも併せてご覧ください!

数年前音のむらきおを担当してもらっているYellow Soulを通じて出会わせてもらったのが旅の音楽家 丸山裕一郎&こやまはるこさんのお二人。そのこやまはるこさんがこのオフィスエムさんから「筆文字絵本・この足あとなーに?」を3月16日発刊しました。私も手に取っていないのですが今度マリオ&はるちゃんのお二人が4月23日に三重県津市のcafe Hibicoreで出版記念ライブに来てくれるのでそこでじっくり読ませていただこうと思います。

 寺島さん大変遅くなりましたがはるちゃんの本の出版と併せてupさせていただきました。ありがとうございました。また三重や長野や東京でお会いできればと思います。感謝!



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おかげさまで完売となりました。
ありがとうございました!

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 「私のむらきお」 とは 「むらきお」 という言葉から思い起こす記憶の断片ををいろいろな方々に文章にしていただいたものに松原が撮影した 「村の記憶」 の写真を添えてお届けする連載ページ。文章と写真がコラボレートして様々な 「むらきお」 が生まれて欲しい、という思いからはじめています。(「むらきお」とは「村の記憶」を略した言葉です。ひらがなで書くと柔らかい感じになるので事務所で名付けました)

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